感情的すぎる問題に感情的になるのは怖い。
今日、授業でチェチェン紛争についてのビデオ(NHK作)を見た。
凄く興味深かったので、明日の英語文学の予習が終わってないけど、、、
我慢できずに、ぱそこんカタカタしてます。
今もテロ行為や征服活動が頻繁に起こるチェチェン。
そこで出てきたロシア人ジャーナリストのバビツキーは、自ら戦地のチェチェンへ赴き
頭の上で爆撃が飛び交う中、真実を伝え続けてきた。
彼のリポートで知らされた事実は、ロシア人チェチェン人ともに大きな影響を与えた。
彼はロシア国民でありながら何故危険を犯してまでチェチェンへ行くんだろう、と思ってしまうが
そんな私達の疑問を彼は軽く蹴ってのける。
「ロシア人もチェチェン人も同じだ」
彼が言うこの言葉に、多くの深い意味を感じ取らずにはいられない。
確かにバビツキーのような勇敢なジャーナリストは
必要だと(特に今のロシアの状況では)思うけれど
彼のような人は、沢山は必要ないと思う。
誤解を招いたら困るのだけれど、私はバビツキーの行為をけして否定などしていない。
むしろ彼の命をはったジャーナリストとしての姿を本当に尊敬しているし、
真実の追究の上で彼の存在はかなり大きかったと思う。
だが私は当事者ではなく部外者だ。
だからあくまで客観的に見て言っているのであって、
当事者であるバビツキーの行為と部外者とのそれとでは、大きく意味が(そして影響も)異なってくると思うのだ。
私が一番怖いと思うのは、戦争を助長することになりかねないと思うのは、
どちらか一方の側に付いてしまうことだ。
“偏った思想”だ。
戦争をやめて平和へと進むには、あくまで中立の立場で議論しないことには
本当の意味での平和への道のりは、一歩も進まない。
だって戦争なんてものは、
(今まで数え切れないほどの戦争が起こってきたけれども)
一方の国が“絶対的な悪”だからという理由で、起きたわけじゃないんだもの。
どちらも自分が正義であると、相手が極悪非道の悪者であると固く信じて
戦争をしている。
自分を疑う隙なんて寸分もないくらい、強固に。
だから、こんな状態の国のどちらかに味方することは本当に危険なことだと思う。
加担すると言っても過言じゃない。
どちらの国も、自国が本当に正しいのだと信じているのに
いったいどちらをどれだけの情報量をもってして否定できるのだろうか。
前の日記にも書いたけど、戦争においても賛同・反対の判断をできるのに十分な情報量なんて、絶対にないと思う。
どれだけその戦争について知識を得たって、確固たる事実を知ったって
戦争は戦争だ。
どちらかが負けることでしか戦争は終結しないのなら、
片方の国に味方することは、犠牲者をさらに増やすことに拍車をかけてはいないだろうか。
確かに、侵略とか略奪とかテロとか、耐え難い不条理があったかもしれない。
たくさんたくさん、罪のない命が不当に奪われただろう。
でも、暴力は平和の対義語だってこと、
思い出してほしい。
今起こっている戦争を終わらせられる方法なんてわからない。
きっと限りなく難しいことだろう。
だから、私達が今出来ることは、もう二度と戦争が起こらないようにすることだ。
きっとそう感じる人は少なくなんかない。
暴力なんて、戦争なんて大嫌い。
みんな同じ気持ちのはずだって、私はいつも思う。




