音がほしい
最近更新が滞ってました。
何だか書く気にならなくって。。。
書きたいことはいっぱいあるのに、思うことはどんどん頭に溜まっていくのに
手が筆に向かわなかったです、うーん。
何だか、この手がもどかしい。
ちょっと予定外のことがあったりして最近凄く忙しかったからかな。
(自動車学校にも通い始めたし・・・←運転まじこわい)
ここ何週間かは、脳の位置がいつもより少し右にずれちゃってる感覚。
一日一日が、ひとつひとつの発言が、思想が、
長い丁寧な文章にできそうな、そんな密度の濃い時間。
忙しかったけど、何だかこそばゆいような楽しさを感じる。
ほんの少し小休憩したら、溜まってた書きたいことをいっぱい書こう。

少し文から離れて思ったのは、
やっぱり私、文章が好きってこと。
そっと撫でる程度でもいいから、毎日ふれていたい。
私の知覚する世界で、風と文字は同じ形をしている。
何てことない、ほんの僅かなひと吹きの風で、
私の心はくすぐられてしまうのだ。

疲れて倒れる私の隣で
小さくなってさびしいさびしいと泣いている私がいる。
あぁ、こんな夜に私が笛でも吹けたらな・・・
あともう少し背伸びができたら、届きそうな空

苦しいのはどうにもならない。
麻酔は感覚を鈍らせるだけで、私からいろんなものを遠ざけてしまう。
一人になるのは辛いけれど、
それはけして単一的なものではなく、必然的に訪れるものだと思う。
誰かといつも一緒になんていられない。
だって常にずっとそばにいるなんて、そんなの無理だから。
ちっとも公平じゃないし公正じゃない。
過度の依存って歪んだ関係な気がする、たとえ幸せだったにしても。
誰かといつも一緒にいるのと、
誰かといつも繋がっているのとは、意味が異なってくると思う。
私たちは必ず、ひとりになる。
それは破局した夜かもしれないし
友達と喧嘩した帰り道かもしれないし
何気ない昼食の時かもしれない。
私たちは毎日ひとりになる。
好むと好まざるとに関わらず、孤独はやってくる。
私はある程度、それを受け入れてる。
いろんな孤独があったけれど
今のはほんの少し暖かい、静かな孤独だと思う。
言葉ってさらさらしていて、すぐに違う形に変わってしまうから
私の思う正しい響きで伝わるかわからないけれど
孤独を自覚したり
手に取るようにその形を感じることができるのは
きっと、孤独って言葉の奥に居座る冷たさを一瞬で吹き飛ばしてしまうような
優しい感覚だと思うの。
みんなが孤独を怖がるのは、孤独が眼に見えないから。
孤独は私たちから完全に分離したもので、全く異質な、得体の知れないものだっておもっているから。
孤独が私たちを取り込み我が物にしようとしているのだと、そう信じて疑わないから。
違うと思うな・・・
孤独はいつも、私たちの中にある。
生きてる。
外に原因を探すんじゃなくて、内在している孤独と向き合って。
自分をもっと見つめて。
毎日友達とお喋りしたり
遊びに行ったり授業さぼったりする。
楽しいし、ころころ笑える。
でもちゃんと、
純粋な孤独は今日もくる。
今日書いたことが正しいのかどうか、うまく判断できない。
やっぱり寂しいな・・・って感じるときもあるし、
いつも誰かのそばにいたいって思ってしまうときもある。
真理って、主観とは少し離れたことろにあるのかな。
こうやって、一歩下がって世界を見てみると、
どんな人間関係が幸せなものなのか
幼い私にはまだわからない。
でも、孤独の上で
誰かと繋がっていることを感じられるのは
きっととても大切で、稀有で
幸せなことなのかもしれない。
一人だけど一人じゃない、って
こういう感覚なのかな。
きっと、仮初めでないものがどこかにある。
一瞬も自分でいられなくなる
私はよくこの感覚に襲われる。
哀しいいろんなことは、突然に思えるけど
それは前から頭の片隅にひっそりとあって
実際に出くわした時はそれはとても驚き嘆くのだけれど
やっぱりな、っていう変な意識もある。
予想してしまった未来の中で、実現するのは大抵悪いものの方が多くて
私は、頭に浮かんだその日から実現する時までに与えられた仮初めの猶予期間を、
ただただ、気づかない振りをして消費していく。
私の周りを、世界が流れる。
私の背中を、支流が押してゆく。
せっかちで、無慈悲で、
絶えず変わっていく景色の中で
私は永遠の象徴を見つけることが出来ない。
眼に見えるのは仮初めのものばかりで、
あぁ、無常ってこういうことを言うのかななんて感傷にひたってしまう。
夜はいつまで経っても暗くならない。
本当の闇は朝にくるの。
でも、私は
こうやって不器用に、丁寧に、
いきてる。
空色筆箱とチョコ
今日は梅田で空色のペンケースを買った。
水色、とか青じゃなくて
正真正銘、空がプリントされた空色の筆箱。
嬉しいな、これなら勉強がんばれそうな気がする、うん。
大切にしよっと。
一風堂でラーメンもクレープも食べられたし、テンション高いです。
女の子が何人か集まると、ついつい食べ過ぎちゃうものですね。笑。

私は朝が苦手。
ほんとに苦手。
低血圧のせいか、自分でもびっくりするほど起きられないです。
これだけは自信もって言える。
携帯のアラームを十個(一分おきに)かけて、目覚ましをセットして、
十分間たっぷりそれらを鳴らさせてから、やっと布団から足を出す。
あー、このままじゃいけない、、、
今は学生だから「来る途中におばぁさんを助けててー・・・」で済まされるけど
社会に出たらそうもいかない。
いつだって環境は自分に甘くない。
そこで私は、こんな時だけ都合よく働く頭をフル回転させて考えた。
枕元に好きな食べ物をおくのはどうだろう。(あったまいい!)
で、
試しにチョコを置いてみた。
効果覿面!
寝ぼけ眼でチョコを探し、ベッドに横になったままチョコを食べる。
何か食べることで脳が活性化される関係か、難なく起きられるようになった。
朝からチョコなんてカロリーが・・・ってちょと不安だけど、背に腹は変えられない。
毎朝余裕の登校が続いた。
ところが、
それから一週間が経ったある日。
いつものように布団の中でもそもそしながらチョコを探すが、一向に見当たらない。
おかしい、おかしい。
しかも時計を見ると、授業の始まる十分前、、、終わってる・・・
急いで飛び起き、こんな時に何やってるんだと自分でも思うんだけど
それでも諦めきれずにチョコを必死に探す。
ない、ない、なーいー
半泣きになりながら、ふと目に入った鏡には、
口のはしっこにチョコのかけらをつけた、紛れもない私がいました。いました。
・・・。
私はどうやら無意識に目を覚まし、無意識にチョコを食べ、無意識に二度寝したようです。
もう、ばか、
はぁーだめだめです。
この教訓から朝起きチョコはやめ、
「遅刻したら留年!!」と自分を脅しながら毎朝起きてます。(あながち嘘でもない。。。)
やっぱ、自分をだましだましうまく付き合っていかなきゃね。
何か、簡単に起きられる秘伝の技とかないのかなー。
(ちなみに友達のは、目が覚めた瞬間に力一杯目をかっと見開く、というものでした。それはちょっと・・・笑。)
空と虹の共存

大阪は朝から雨で、天気予報を見ずに家を飛び出した私は、
登校途中の突然の雨に運悪く出くわし、大学についた頃にはびしょびしょになっていた。
じめじめのまま授業を受け、じめじめのままノートをとり、じめじめな内容の発言をした。
ちっとも乾く気配のないスカートは足にまとわりついて、
ズボンにすればよかったなぁなんて今更遅い後悔をえんえんと繰り返していた。
もう、さいあく、今日はいやな日、って思いながら
とぼとぼ歩く帰り道に、ふわりと撫でる風のように私の視界を、優しくさえぎるものがあった。
虹。
何度も目を凝らして、
最近私、視力が落ちてきたからきっと何かの間違いだろうって何度も疑いながら目を細めて凝視してみたけど
ちっちゃな、ちっちゃな、でも目の前にあるそれはとても大きく感じられる
はっとするほど美しい虹が確かにあった。
虹のあの七色の鮮やかな色が、どうして真っ青な空の上で浮かないのかな。
普通、あの色の組み合わせだったら反発しあいそうなのに。
主張しすぎない色合いでありながら、確かな強い意思を感じる虹に
私の心は、ルパン三世の成すが如く鮮やかにさらわれていった。
空と虹って、共存してるっていうか
うまくなじんで、お互いがお互いの存在を認め合っているみたい。
虹なんてここ一年見てなくて、まさかこんなタイミングで遭遇するなんて思ってもみなかった。
最悪の気分で出逢ったものって、案外イイやつが多い。
ほんとに、予想外のことが起こるのって幸せなことだなぁ・・・
慌てて小走りしながら携帯を取り出して、何回も何回もシャッターを押した。
きれい。
明日もがんばれそうな気がした。
感情的すぎる問題に感情的になるのは怖い。
今日、授業でチェチェン紛争についてのビデオ(NHK作)を見た。
凄く興味深かったので、明日の英語文学の予習が終わってないけど、、、
我慢できずに、ぱそこんカタカタしてます。
今もテロ行為や征服活動が頻繁に起こるチェチェン。
そこで出てきたロシア人ジャーナリストのバビツキーは、自ら戦地のチェチェンへ赴き
頭の上で爆撃が飛び交う中、真実を伝え続けてきた。
彼のリポートで知らされた事実は、ロシア人チェチェン人ともに大きな影響を与えた。
彼はロシア国民でありながら何故危険を犯してまでチェチェンへ行くんだろう、と思ってしまうが
そんな私達の疑問を彼は軽く蹴ってのける。
「ロシア人もチェチェン人も同じだ」
彼が言うこの言葉に、多くの深い意味を感じ取らずにはいられない。
確かにバビツキーのような勇敢なジャーナリストは
必要だと(特に今のロシアの状況では)思うけれど
彼のような人は、沢山は必要ないと思う。
誤解を招いたら困るのだけれど、私はバビツキーの行為をけして否定などしていない。
むしろ彼の命をはったジャーナリストとしての姿を本当に尊敬しているし、
真実の追究の上で彼の存在はかなり大きかったと思う。
だが私は当事者ではなく部外者だ。
だからあくまで客観的に見て言っているのであって、
当事者であるバビツキーの行為と部外者とのそれとでは、大きく意味が(そして影響も)異なってくると思うのだ。
私が一番怖いと思うのは、戦争を助長することになりかねないと思うのは、
どちらか一方の側に付いてしまうことだ。
“偏った思想”だ。
戦争をやめて平和へと進むには、あくまで中立の立場で議論しないことには
本当の意味での平和への道のりは、一歩も進まない。
だって戦争なんてものは、
(今まで数え切れないほどの戦争が起こってきたけれども)
一方の国が“絶対的な悪”だからという理由で、起きたわけじゃないんだもの。
どちらも自分が正義であると、相手が極悪非道の悪者であると固く信じて
戦争をしている。
自分を疑う隙なんて寸分もないくらい、強固に。
だから、こんな状態の国のどちらかに味方することは本当に危険なことだと思う。
加担すると言っても過言じゃない。
どちらの国も、自国が本当に正しいのだと信じているのに
いったいどちらをどれだけの情報量をもってして否定できるのだろうか。
前の日記にも書いたけど、戦争においても賛同・反対の判断をできるのに十分な情報量なんて、絶対にないと思う。
どれだけその戦争について知識を得たって、確固たる事実を知ったって
戦争は戦争だ。
どちらかが負けることでしか戦争は終結しないのなら、
片方の国に味方することは、犠牲者をさらに増やすことに拍車をかけてはいないだろうか。
確かに、侵略とか略奪とかテロとか、耐え難い不条理があったかもしれない。
たくさんたくさん、罪のない命が不当に奪われただろう。
でも、暴力は平和の対義語だってこと、
思い出してほしい。
今起こっている戦争を終わらせられる方法なんてわからない。
きっと限りなく難しいことだろう。
だから、私達が今出来ることは、もう二度と戦争が起こらないようにすることだ。
きっとそう感じる人は少なくなんかない。
暴力なんて、戦争なんて大嫌い。
みんな同じ気持ちのはずだって、私はいつも思う。
少ないけれど、空みたいな人っていると思う。

昨日は神戸に行ってきた。
久々の海!
何故わざわざ神戸の海へ行ったかというと、私が元々ボランティアとか奉仕活動とかに興味があって
普段から「何かゴミ拾いとかいい事したいー海いきたいー(地元ではよく海に行ってたから)川行きたいー」とか騒いでいたのを聞いて
「だったら神戸の海、ゴミとか多いし遊びにきてー!」
と友達が誘ってくれたからです。
もちろん光の速さでうなずき、しっぽを振って神戸へと電車にゆられてゆきました。
思ったのよりずぅっと綺麗でした、神戸の海。
私、やっぱり空と海好き。
見ているだけで一日過ごせそうなくらい、おっきな景色でした。
もう、海の近く、空の下で毎日過ごしてたいくらい!
空はキャンパスに収まりきらないからこそ、とっても魅力的なんだろうなぁー・・・
両手の指で作った小さな四角じゃ、空のしっぽさえ捕えきれそうになかった。
今まで何回も頭の中で空を綺麗に描こうとしたんだけど、うまくいかなくって。
今日見て、その理由が解った気がした。
結構な天気の元、二人でもくもくとゴミ拾いをやってのけました。
やっぱ、ゴミ拾いとかって友達とやるから楽しいんだって思う。
小学校の遠足の最後に、みんなで「発つ鳥あとを濁さず!!」とか言いながらゴミ拾いするの、楽しかった。
あの感覚が大人になっても経験できたら、きっと素敵だろうな。
二時間かそこら拾っただけで結構な量になった。
もちろんくてくてになったけど、この種の疲れってちっとも嫌にならないから不思議。
そしてそして
二人して(自分への)ご褒美としてケーキ屋さんへ直行。
そこは友達お勧めのお店なだけあって、もう、すっごくおいしかった!!
チーズケーキが・・・本当においしくて!!
波に乗って(?)二個も食べちゃた、やば。
そこでかなり話し込んだ。
その子とは普段はそんなに深い話はしなかったんだけど
あるひょんな話題から「おっ」と思って小難しい話をふってみたら
以外にも食いつきが良かったので(ぱくっ!みたいな)乗りに乗っていっぱい話し込んじゃった。
結構面白い内容だったから、今度整理して日記に書こうかな。
多分二時間くらいはそのケーキ屋さんでお話していたんじゃないかと思う。
(店員さんごめんなさー)
あー、でも本当に楽しかった。
ちょと疲れたけど、思いっきりお話し合えるのっていいのね、とっても。
お買い物できたし(服!)、やりたいこともほぼ全部できたし
大満足な一日でした。
神戸っていいところ。また行きたいな。

話は変わるけれど、ブログの形式(文体)模索中です。
本来のブログの目的からずれるのは何だか本末転倒だし
今日みたいな個人的な日記は書かずにおこうかなって思ってたけど
その日によって書きたい内容とか文体は変わるわけだし
何も統一する必要ないかな?どうしよう。
何だかフランクに過ぎる文になってしまった気がして、うーん・・・
もう少し試してみてから決めようっと。


一度も自分を疑ったことのない人は、きっと寂しい
人をカテゴライズすれば楽だ。
あの人は陰気だから関わらない、
あの人は派手で何も考えてなさそうだから話しかけない、
あの人は何がわからないかもわかっていないから、何を語っても無駄だ。
主観の入ったレッテルを貼ることで、人は考えることが少なくなる。
余計(だとその人が盲目的に判断する)なことを考えずに生きていけるのは、
きっととても楽なことだろう。
自分のことだけ考えて必要最小限の苦労しかしないことは、
ある人にとっては幸せなことなのかもしれない。
その人の、人生を通して求めている安定なのかもしれない。
考えるのには、パワーがいる。
私も、ずっと前まではなるだけ考えないことが楽なことだと思ってた。
痛いのは自分の分だけで十分だと。
苦労はしないに越したことないと。
きっと平凡な道がどこかに必ずあるのだと。
うまく目を逸らして、上手に生きていける術を必死に探そうとしてた。
でも、今は、それが凄くいやだ。
一瞬でも、考えずにいることはいや。
無関心でいることもいや。
無難な道を選ぶのもいや。
意識的に生きたい。
もう楽はしたくないの。
「若いうちに苦労は買ってでもしたほうがいい」という言葉があるけれど
本当にその通りだと思う。
私は(自分で言うのも変だけれど)自他共に認める苦労人だ。
(年の割には、という意味で。)
去年一年は本当に大変だったし、消えたくなるほど辛かった。
きっとお墓まで持っていくような、人に言えない記憶もある。
あの頃、自分は本当に不幸だって思ってたけど、
今、あの頃の自分を見て、現在の自分を見て、不幸だとはちっとも思わない。
自分のした苦労は、知的価値のあるものっていうか、前向きな苦労だったと思う。
確かに凄く苦しかったけど
リストラされたとか、会社が倒産したとか、どうしようもないものじゃなかったから。
そこから得るものがあって、這い上がれたら、
それだけでとても大切な経験だって思う。
一年間で、自分でも感じるくらい、他の人もそう認めてくれるくらい
私は成長したと思う。
色んな痛みを解るようになった。
色んなことに涙するようになった。(元々泣き虫だけど)
みんながみんな、いとおしい存在だってさらに強く信じるようになった。
意味のないことなんて、一つもない。
だから辛い思いしたって、失敗したって、傍から見たらばかなことやっちゃったって、
いいんだって気づいた。
うまくいかなくたって、ちっとも責めることない。
苦労して、それは自分のせいだって責めて
同じところを堂々巡りしてた。
自分で自分の首を絞めているのに、長く慣れすぎていた。
でも、その苦労はけして悪いものでもなく、
またそんな状態を導いてしまった自分が悪いわけでもなく、
成長する大切な大切なポイントだって思う。
苦労はしたほうがいい。
ぱっと見ではわからないけれど
そのほうが、人間としてとても魅力的で、
私は好き。


川の字の真ん中

先日(て言っても先月くらい)地元の友達が二人、大阪に遊びに来た。
約半年ぶりの友達は大筋そのまんまだったけど、
どこかすこしづつ変わってた。
会話の節々でそれを感じる度に何だか嬉しくもあり、ちょっぴり切なくもあったり。
「遥、大人っぽくなったね」と言われて「本当に!?」って身を乗り出して喜んだら
やっぱ違ったって言われた。えー。
しょぼーん。
ででん!三日間の大阪観光旅行の予定!
いち、大阪城と道頓堀でさいとしーいんぐ
にー、海遊館でジンベエザメのゆうちゃんに会う
さん、憧れの地USJにそれゆけっ
一日目二日目と順調に進む。
大阪城では変なポーズしたり岩の上に乗ってピースしたり。
二人より私のほうが観光客っぽかったのはなんでだろ、
早く早くーって走り去る姿は高校生のようでしたとさ、ふー。
二日目の海遊館ではジンベエザメの存在感に圧倒されまくった。
水槽にはびっくりするほど綺麗な魚たちが沢山いて、
この手のひらに乗るくらいの空間を、切り取って持って帰れたらなぁーって本気で思った。
自然って本当に凄い。
あんなに大きな鮫やかたぁいウロコを持ったアロアナや
針穴に糸を通す神経をもってやっと認識できるようなちっちゃいクリオネなんかを同じように愛でているなんて。
私は本当に素晴らしい世界に生きちょる。
それより、やたらとハリセンボンと目が合ったんだけど・・・気のせい?
そしてそして三日目のUSJ!
はぁぁ〜、USJはホントに夢の国でした、
いい夢みさせてもらいました、はぁぁ〜・・・
もうもう、何度空を飛んだことか!
あー、書きたいことが頭の中で大フィーバーしてて、何も書けない状態。
とにかくリアルな非現実だったぁぁ。
私、次買い換えるなら絶対E.T.の自転車がいい!
『WICKED』でエルファバが No one can take me down! て歌いながら飛んだ(ように見えた)時、全身に鳥肌が立った。
目が動かせなかった、あんな生き方したーい。
夜は私の小さなベッドで川の字になって寝た。
三人ぴったりくっつき寝返りも打てない状態で、朝になったら誰かが足元の隅っこで寝てる、なんて状況になったりもしたけど、
本当に久しぶりに何も考えずに眠りにつけた。
低血圧の私はめっぽう朝に弱くて、
爽やかに早起きできる二人を寝ぼけ頭で褒め倒した覚えがある。(うろ覚え)
「高血圧の人ってホント尊敬する、ホント尊敬する。」(発言の一部を抜粋)
いや、本当に凄かったの。
むにゃむにゃイモムシしてる私の横でもう着替えとか始めてるの。
凄いなぁ・・・なんであんなにスパ―ンと起きられるんだろう。
きっと一生、二人にはかなわないや。
私は一日のうち、さっきまではころころ笑って話していたのに、
急にぱたりとだんまりになっちゃうことがあるんだけど、
それをただ無言で解ってくれる友達が嬉しかった。
(たぶん解ってくれてると思う、多分)
そもそも一人で考え事をするのがいけないんだよね、誰かと居るのに。
(でもでも、一日の中でじっくり考え事をする時間はどうしても削れないYO)
ごめむ。
合気道の技かけられたり、デュークさらいえ歩きしたり、UNOで真剣勝負したり、
いっぱいばかなことした。
何だかちょっとだけ高校生に戻ったような感じだった、はっちゃけてたなぁー
いっぱいお話もした。
五年後のこととか話して、いんすぱいあし合えた気がする。(少なくとも私はされた)
やっぱり私はこっちの道にして良かったのかも、
もうちょっと迷走しながら進みたいな。
大阪にきてもう一年。
いろんなものを見て、いろんな空気にふれた。
去年はなんだか不運な年だったけど、(厄年だったらしい!) その分救われることも多かった。
いっぱい失って、いっぱい与えてもらった。
変わるのが怖くて自分がブレて仕方がなかったけれど、
最近はだんだん変わりつつある自分にちょっぴりどきどきしたりもする。
こう、体の奥のほうで、歯車がころころ回り始めているのがわかる。
Whole new world のしっぽを垣間見られた気がした。







