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切って指先daydayday


車のドアがばんっ・と閉まる音が嫌い。
振り返ると白い壁がある。
窓が濡れている。
今日も音が開く。
そこでいつも混乱する。

こんなに苦しい。
馬鹿みたいに死にたいとばかり呟く。
死が遠ざかる処。
日に何度も、自分のおなかを刺す刺すイメージを繰り返す。
苦しくてご飯がたべられない。
もっと痩せてしまいたいと思う。


情けない。
故障の振りをしてメールを返さない。
あの番号には何度も掛ける。
新しい持ち主も出ない。
昔のメールを読み返して泣いた。
なにひとつ今はできない
試験あるなのに何もしない


ただ頭が痛くて
再会で
呼吸の後の沈黙
がんばってがんばって
そんな自分を叩きたくなる

壁の下で丸くなるだめだだめだだめだ
どうしようどうしよう
はやく今がおわって。
私が戻ってこない
くるしいの?くるしいのくるしいの?くるしいの
ほっとくからおいてくからしらないからみえないから
こんなの私じゃない
だめなやつなんていわないでわかってるんだから
謝らせてだめじゃないってばまだできるよ嘘嘘
明日が来ない今日ばっかり
肌に滲む下の矢印



不快な赤の刷られた朝
どろりと流れがくだる朝
指が次々に出て行く朝
勝手に捩れるお腹に瞼が離れない
朝を過ぎてく下着を脱ぐと吐きそう
今日誰かに会う
クローバーを耳にさしたら赤い天道虫がとまった
固まる笑顔と違う時間で流れる赤い水
私だけとまってる
ここは内緒のばしょ
だれにもいえないくせに



ヘルプなんて言わない。
これは指先。
腹で蠢く指たち。
今日も繰り返す。
ばらけてしまう。
左右に揺れても声を留めるから。
傾きに堆積する一瞬。
今日のいつが明日なの?



また会ったね苦しみ
忘れてしまえ、いずれまた来る


叫び出さぬように名前だけは呼んでるのに







詩 | CM(2) | TB(0) 2008.01.28(Mon) 00:28

ここにいる私も

おでこの左端が気になって眠れない。何度ベッドに擦り付けても軽く叩いてみても眠れないしにたい。もう訳が分からないほど訳が分からないからしにたくてしにたくて、たぶん生理前だからこんな風になっててかなしくって、全部そのせいで、でも生理なったらもっとひどくなる。まいつきまいつきこうやって眠れない朝授業あるのに。こんなんでどうやって試験期間乗り切ればいいのむしゃくしゃ丸めたいもういやいやなんにも全部わからない。から
ふうう。


私の父は剣道をやっていて身長は180近くで筋肉質、凄腕の猛者なのだけれど、父は週に三回ほど武道館に練習をしに行っていて月に一度は市内へ朝練にも行き、よく若い人とか後輩に稽古を付けているらしい。それで教える際に自分が打たれる側になって面やら胴やら突きやらを受けていて、もうそれが長年続きいくら防具を付けていると言えど痛いものは痛く、頭上に落ちる地が揺れるようなびりびりした衝撃は十二分に伝わるわけで、2、3年ほど前からずっと耳鳴りが止まらないと言う。面で擦れた頭の天辺は少し薄くなっていて耳はひしゃげ、腕の毛は籠手でこすれて生えてこなくなった。浅黒い皮膚がつるりとしている。

きーーーぃんという音は医者によるとどうしようもないらしく気にしないことが一番だとアドバイスを受けたらしいが身内としてはどうしてもアドバイスに聞こえない。
頻繁に耳鳴りがするので父は、私の前ではやらないようにしているみたいだけれど、きーーぃんと聞こえるとよく耳の上辺り側頭部をがんがん拳で叩いている。母が「痛いから、しちゃだめよ」と止めるけれど「これが気持ち良かと」と言ってがんがんやっているのを偶然見てしまった時は、逃げ出したい気持ちになった。

高校時代は元彼の事件もあったりして門限も厳しく、彼氏の存在がバレてからは外出なんかも中々許してもらえなくて(今思えば当然の処罰かもしれないがあまりに嫌だった)仲は良いとは言えず、他人同様父との距離を掴めないでいる。
情けないことに、今でも実家からどこかへ出かける時は、毎回少し汗をかいてしまう位びくびくしている。遊びに行ってくる、出かけてくる、と言う言葉をスムーズに言えた記憶はない。
高校時代に一度、こっそり出かけて彼と落ち合っていた所を、車で付けてこられていて、追いついた父に無理矢理連れ戻されたことがあってそれ以来、出かけるのは怖いしひたすら意味もなく罪の意識を感じる。

いちごタルトが食べたいとか、あからさまな我が侭でしか甘えられない、うまく話しかけられない。大学に行ってから随分ましになった気はするけれど、例えば身体が疲れやすくたまに仕事を休んで寝込んでいる時とか、医者から処方された何種類もの薬をあさりながらこれ飲んだけ…と猫背気味に呟いている時とか、大音量でテレビをぼんやり眺めているのを見かけた時とか、もう自分が本当に取り返しの付かないことをしてしまった気がして、こんな時に言葉が失われるのだと思う。幼いまま言わないししないしできないし、鈍感に徹するしか無く。

この前の帰省では、弟を介して喋ったりした。母に話す振りをして話しかけた。ぎくしゃくなどではなく自然と言えば自然だし取り立てて言うほど悪い関係ではないが、怯えとも恐怖とも違う、覚えていない文法を使って喋る時のような、常に正しいかどうか分からないという不安が付きまとっている。
今更謝る事などと思うし、今でもあの時の扱いは、言い分も聞かず子を力ずくで抑えつけるだけで不当だったと思うけれど、父も内心とても不安だったのかもしれない。唐突に娘が目の前で消えていくような。そういう不器用な人なのはわかっていたが、私もまた思春期の幼くて周りの見えない強情な高校生だった。目を覚ませなんて言葉はお互いに不要で。

貯めたバイト代で買ったカメラで何気なしに父を撮ると、意外にも喜ぶ。印刷してカレンダーの下に貼っておいたら母に自慢していた。被写体になる時、父は分かっていて、ポーズを取ったり作ったりしない。写った姿はけっこう男前だった。

毎年父は五月にある京都の大会に出ているので、今年は京都で防具姿の父を撮るかもしれない。撮らないかもしれない。


相変わらず気分は最悪で、もう気分というのが何だか解らなくて、でもこういうことを考えている時確かに私は娘なのかもしれない。

何も解決しない明日がくる。解決すべきことなどない。
日記 | CM(2) | TB(0) 2008.01.21(Mon) 00:42

まだはたちなんだよ


いつものように午前の遅い時間にクイックルワイパーを掛けながら家中の窓を開けて回っていたら、実家の斜め前にある母校の中学校のテニスコートから数人の女の子たちの声が聞こえてきた。
ちゃんと歌ってよーさん、はいっ。
何かの曲を歌っていて聞き覚えがあるんだけど思い出せない。
せーのっぴっかちゅー!ちがう!
ハイっだーれかをあーいせたあーフフフのときの、きもちーでいーつもいれーたらララッラ♪だーれかをきーずつけるーことばもーこのっよーにはなかーっただーろなーアハハハ

あ、と思って後少し後少しと数秒考えて、は、となって分かった。RADWIMPSの「愛し」だ。
きみのっいつだってだれかのーためにあった心は、いつも、どれだけのじぶーんをーあいせたーのだろーぴゅー!
合唱コンクールで歌うにしては不似合いだし(こういうのにぴったりなのはゆずである)ピアノの伴奏も難しいだろうからきっと体育の授業中テニスをするのに飽きて歌い出したんだろう。中学生にはありがちなことだ。


そうやってのんびり過ごしていたらいつの間にか成人の日が来た。
その日にあった中学校の同窓会は少し予想外なくらい楽しかった気がする。五年、でも変わるものは限られているのかもしれない。誰かがえんえんと長渕剛を歌っていた。音楽の授業では「乾杯」が定番だった。
男の子は誰もみんな格好良くなっていて悔しいくらい、女の子はお世辞抜きに一段と綺麗になっていてはっとする。

窓に掛かったブラインドに隠れて電話をしているHi君を見つけて、彼は小学校来の友達でよく一緒にふざけ合っていたのだけれど、いたずらしてやろうと端から覗き込んだら、急にぐいっと腕を引かれて、密着したまま電話が終わるまでずっと離れられなかった。びっくりしながら誰と話してるのと聞くとちらとだけこっちを見て質問を無視し、街灯の少ない田舎の街をじっと見ていた。来るのか来ないのかという話題を繰り返す。ブラインドで仕切られたここだけ、部屋の煌びやかな装飾や照明の明かりから逃れられた場所で、そこからは車の流れしか追えない。外しか見えない。彼も動揺していて、もしかしたら誰とも電話していなかったのかもしれない、通話を切ると手を離して、そこへちょうど友達が覗きに来たので離れた。

会場はそれぞれの場で盛り上がっていた。不良だったT君はちっちゃいなぁと言って私の頭をがしがし撫でながら酔っ払っている。意地悪だったM君は相変わらず嫌なやつで、成人式で行われた抽選会でWiiの当たったT元君は私を含めいろんな人から催促されていた。同級生のほとんどが県内外で働いていて、今大阪にいると言ったら必ず関西弁を要求されるのでマクド!とだけ言っておいた。練習しようねと言われた。

今だから先生に聞けることというのがあってある先生に初チューはいつですか?という質問が舞い込み固唾を呑んで見守っていたのだけれど先生は「中学校構内です」と答え会場がどよよっと湧き、どこですかと訪ねられると「職員室です」と言い更に周りはどよよよよではない位に湧き上がりどこかからうひゃーという悲鳴も聞こえ「どうやら校内で不純異性行為が起きていたようです」と司会者に突っ込まれると「私はそれまで小学校の教諭をしていて、君達を受け持ったのが初めての中学校だったのです」というオチがつき軽いブーイングも起こったけれど可笑しくって笑ってしまった。何だか先生を忘れていた。


手紙でも書いた亡くなってしまった彼は成人式にも同窓会にもいなかったのだけれど、先生が、もういつから闘っていたのか分からない、闘病期間にふれて彼は今日来るって約束してたのに「でもがんばった」と仰ってくれてそれで私はずっとここに居ないのがたまらなく苦しかったのだけれど少し少し気持ちがふわりとなった気がした。まだはたちなんだよ。彼は今日を楽しみにしていた。袴を着たがってた。嘘だとおもう嘘だとおもう嘘だとおもうそんな不在だよ。ここにいると本当に嘘みたいだ。
それから司会の男の子が提案してくれて、一分間全員で黙祷した。退場しなければならない十時を五分過ぎた会場が早朝みたいに静まり返った。南日本新聞のお悔やみの欄に小さく載った君の名はにっこりが通った道で呼ばれている。一人一筆でも余るくらい。まだはたちなんだよ。



帰りの大阪モノレールで真向かいに座っている女の子が、食玩だろうか、写るはずないのに、小さなプラスチック製のカメラをあちこちに向けてカチャ、カチャ、と鳴らしていた。真っ赤なコートが分厚そうだった。母親がそれを見ている。
ほら、ここ、カメラのここ覗きながら押してみ、文字が見えるで。ほら座り。
そう母親に諭されて子供は大人しく座り直すと、縦に横に振りどこー?と確認してそれから、真っ直ぐ私に向かってカチャ、と鳴らした。
ファインダーもプラスチックな瞳で、その距離を。
君は写らないけれど、私も写らないんだよ。
見えたー
字ぃ読めん。






日記 | CM(4) | TB(0) 2008.01.15(Tue) 23:01

雨のように、音の海


実家に帰ってから約二週間が経った。手帳を見ると時間の流れが分からなくなる。一ヶ月前は半年以上前のことに思われるけれど、春からはもう三回生だ。

私の住む鹿児島の片田舎の町には小さな自衛隊基地が在ってそこから発つヘリがひっきりなしに頭上を飛ぶ。これは夏の記事でも書いた。実家から歩いて五分も掛からない位置に在る基地から大量のヘリが飛び立ち固まって点在する家々の真上でごうごうごうとプロペラを回していた。
私の部屋の窓から真正面に見える位置に航空機帰還の際の目印として細い灯台のような塔が建っていて、私はそれを勝手に灯台と呼んでいるのだけれど、住宅や側の校舎に囲まれてやっと出るその先端は頼りないほど小さく見える。そこから発する青と白の光線が腕のようにすっと伸びた筋になり、木々を街灯を家屋を順番にふれてから交互に私の顔を照らすのを見て、これはきっと神様がくれたプレゼントに違いないと幼心に思っていた。今になって思い出すのはいつもぼやっと雲のように霞む青と白の交差で、小学生のときなど辛い事の在った夜はぐずりながら窓にへばりついていたものだった。暗い部屋に面する窓はひんやりと冷たく腫らした目を冷やすのにちょうど良くて、瞑った瞼の上を音も無く撫でてゆく光の吐息を小さな喉で感じていた。次の一周まで、とベッドに入るのを先延ばしして。
陸海空どの隊もあるけれど正式に言えばここは海軍自衛隊基地で、だからもしかしたら、海はずっと遠いけれどこの光はそこまで届いているのかもしれないと子供だけの空想をしてどきどきしながら床に着いていた。それに、自分の居るここも海に変わりないと。

一昨年、近年この町の海軍自衛隊に米軍三百人が駐在する計画が決定したというニュースが走った。私の家のすぐ目の前にある陸上競技場で一万人の抗議デモがありテレビで放映もされたが、父の話によるとそして実際見た限りでは到底半数にも及ばないようであった。弟が賛否如何にのインタビューを受けたらしいがカットされたみたい。結局デモの効果はなく決定は揺るがなかったのだがいつ来るのだろうか、母に聞くと首を傾げた。これによる経済効果が期待できるとかいう話を聞くがどうなのだろう、治安が心配なのはどの家庭も同じだろうけど今は大河ドラマ篤姫の話題で新聞は持ちきりだ。

実際日常の中で基地の騒音が気になったことはたまにしかなくヘリの音が聞こえない方が少し不安になっていたのだけれど、例証するのは不謹慎な気がするがこれって戦時中防空壕の中で爆音を子守歌代わりに聴きながら眠っていた赤ちゃんが終戦後に地上へ出て泣き止まなくなってしまったという逸話をふと思わせるなとぼんやり考えていた。これから生まれてくる子たちはどう思うのだろう。小学校に隣接する公園には遠くからでも見えるような背の高い慰霊塔が在る。そこには特攻隊の方々の名前が刻まれている。
私が中学生の頃、特攻隊として出陣間近に戦争が終わってしまい友人の後に続く筈が自分だけ発てなかったというご老人と話をする機会があった。その友人の事ばかり事細かに話し結局自分の話はされなかった。先の赤ん坊の話も聞かせてくれた。その方は自衛隊基地内にある航空基地資料館で資料の説明や戦時中の経験を訪れる人に話し続けていたのだけれど、去年訪れた時には見かけなかった。

昨晩ふと、ヘリの音が気に障るようになった事に気付いた。今回は長い滞在だが正直まだ帰りたくない気持ちもあるしここには弟がいてお兄ちゃんは中々帰省してくれないけど柴犬ぺろもいるし何というか、誰かが湯船に浸かっている音を聞くのは落ち着くもので大阪の家も好きだけれどやはり実家は居心地が良くその中でこの音を不快に感じたのは自分としても意外だった。
きっと鹿児島の外界とリンクさなかの十代の私と密接に結びついているからかもしれない。体操着で駆けたグラウンド、ピンポンダッシュをした帰り道、猫じゃらしとオナモミを摘む空き地、二人乗りで下ってパトカーに怒られた坂、寄り道のためのブランコ、鞄を放ってキスをした高台の公園、それらどの上でもあの音が回っていた。

眠れずに寝返り打つ大阪のベッドの中で迎える朝に、窓のすぐ向こうからヘリの爆音を耳にすることがよくある。ごうごうごうごう、ごうごうごうごう、降り注ぐ轟音からいつもあの光を思い出し、この音もあの灯台を目指しているのだろうかと、目を瞑って壁にすり寄った。

そしてこんな、内から聞こえる音に頼りながらしか今は書けないのだと、繰り返す目の動きに声を震わせ静寂に似た風の強さをごうごうごう、ごうごうごう。星降る雨に手を広げて赤くなっていくもっとを。
思うこと | CM(2) | TB(0) 2008.01.11(Fri) 01:50

透明の


体に走るガラスの痕を均す布擦れで視界がぼやける。

手足のない蛇をそっと捕まえて鳴らすコードを愛おしく感じるのは今も変わらない。

風はどこを向くのか。

息苦しさを縮めようとする笑顔を塗りつぶして下さい。

嫌われるように飛んでいった帽子が道程を教えてくれた。

言葉遊びを積み木みたいに繰り返す指でボタンをはずす。

戻った相手は同じだったのに、場所はこんなにも変わり
次の朝にはその相手も姿形を変えるのです。

うそを、実際同じものなんて何一つ無く本当は、知らない人でした。

何もかも起こる前に予想する関係、それは正しくてだから起こらない。
そう望まれたから。

窓に映らないように身を起こすけれど、既に、誰かに開け放たれていた窓を、ひと睨みして。
詩 | CM(2) | TB(0) 2008.01.06(Sun) 23:12

プロフィール

harufar

Author:harufar
1987年8月3日生まれ。
まだまだひよっこの19歳です。20になりました。
髪は少しずつ、のびています。
大学生(三年生)してます。

いま試験期間でしょぼしょぼなってます。

忙しい中で自分の時間の流れを垣間見ることが出来るのは、ココロがほんわかなる瞬間です。
目の前にグミチョコを置かれたらしっぽふって喜びます!

好きな音楽★安藤裕子 Round Table featuring Nino 鬼束ちひろ RADWIMPS 椎名林檎 Boom boom satellites Muse Cornelius チャットモンチー ROSSO Blankey Jet City Madonna ACIDMAN Cocco etc

メールアドレスはfar-har-kokoあっとまーくhotmail.co.jpです。
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