空想同い年・はなれ
朝を分けるため洗濯物が翻る
服はそれだけの為に剥がされた
こんな光でいいのかな
こうやって照らせばいい日常
はやく夜へ
10年経ったら会えそうな気がする
玩具を楽器に酔わせてぽつん
溜まりに吸い込まれる雨や雨
もうすぐ迎えが来るらしい
どうしてと問われる日があるのかな
まだ見ぬあなたは珈琲に溶かして飲んでしまうだろう
きっとその半分をわたしは欲しがる
味がしない味がしないと言い合いながら・・・
耳に消える
知らないひと。
頼りにする限り会ってはならない
想像のひと。
照らし方を許すだけ
夜の間は日の代わりをする
焦げた瞳であつうい安定を冷ます
次をさがすひと。
今日に戻るためあなたと話しをする
話をする限り明日へは帰れない
ああ止まる・とまるとまる
известие
伝え聞いてから咳が止まらない
首から肩にかけての重石が頭を下へ促す
手と床と鼻先とを近く
ここから階下を臨んでちりぢりに
指も視線も
あぁ・・・
あぁ・・・
チェーホフにおけるсострадание<サストラダーニエ>(共苦)について考えている。でもまだうまく言えない。
今は、『三人姉妹』で自分の死を予感していた男爵トゥーゼンバフの言葉を思い出す。
「僕は晴れ晴れとした気分だ。まるで生まれて初めて、あの樅や楓や白樺を見るような気がするし、むこうでも僕を、じろじろと物珍しげに見て、固唾をのんでいるみたいだ。なんという美しい樹々だろう!そして本来なら、こうした樹々にかこまれた生活は、すばらしく美しいものであるべきなんだ!(・・・)おや、あの木は枯れている。けれどやっぱり、ほかの樹と一緒に風に揺られている。あれと同じように、もし僕が死んでも、やはりなんらかの形で、人生の仲間入りをして行くような気がする。」
『三人姉妹』チェーホフ/神西清訳 新潮社
この戯曲を個々の話材の視点から見ると、どうしても登場人物に欠点を見て取ってしまう。精神病みの妻を持つ陸軍中佐ヴェルシーニンは哲学論議に甘んじ、それも暇つぶしの域を出ない。軍医チェブトイキンは役に立たない古新聞を持ち歩き、イリーナは働かなければ!と繰り返しながら、働き始めるとすぐに労働に絶望する。アンドレイにおいては三人姉妹の期待にそぐわず市会議員に落ち着き、さらには妻ナターシャを上司の市会議長プロトポーポフに寝取られてしまう。その精神的退廃は醜く肥大する身体によく表れている。
総じてどの人物も科白が行動しないための代用となっている。
けれど、全体を通して読んでみると、読めばよむほど、実際は誰も責められるべきではないのではないかと言う気がしてくる。臆病でセンスの無い許婚から終盤には有無を言わさず家政を仕切る横暴な主婦に変貌したナターシャだって、この戯曲に出てくる四人の女性の中でただひとりお喋りに高じず自分の役目を果たし行動を起こしている。
ここで思い出されるのは、『桜の園』という戯曲で、ひとり園に残された(たぶん死へ向かう)フィールスが呟く「未熟者め(出来損ない)が!」という科白・・・。人間の存在を完璧ではないもの(出来損ない)として捉えるところから始めるドクトル・チェーホフの視点。
先の引用に戻るけれど、トゥーゼンバフは真実を語ったように感じる。彼の語る自然は、日常で流される言葉とは全く違う新しい捉え方のされるものとして描かれており、その表現はチェーホフによって異化されている。『三人姉妹』読了後の景色を思い出す。チェーホフの異化した言葉によって影響を受けた目には、世界がなにか「生まれて初めて」見るようなものに映る。
そして、それに気付いてちょっと、感動というか、心がぶるっと震えた。チェーホフの戯曲は多面的な視点で構成されていてうまく入り込めず、平坦に見えたこともあるし、劇中では事件らしい事件も起こらない。科白は噛み合わないし、この戯曲をを四篇の「喜劇」と言うし。
でも、何か、「異化された日常の描写」に触れることがある。
どうしてこんなこと書いてるんだろう
もう今日は寝よう、寝よう、今日は、もう
反転、あなたを知るには
ことば以外書きたくない
靴に残った指の示唆
人はことばだと流れて行く
越境はどこを指す
足元には地図が無い
乗り過ごしたあの駅を
思い出せない恋人に例えたりした
階段が二階を修正する
脱却のモデルをまた裏切る
上りながら、一足ぶんだけ自分を埋めた
節で折れることば
舵を取れない波の中で
手を組む、きっと風が吹く・・・
今はここは・・・
怖い、混じる感覚がする
相手すら抱けずに
あなたを探せずに
サイズの合わないパジャマで昨日から夜を数えている
一週間分の間違いが、かかとに引っかかる
ものさしで、改行の明日を測る
そこにはいない
知るには、出会うには
長くなった髪を切りたい
(早くわすれたいなぁ)
一年を越えて木々ががさがさ言う
(忘れたくない)
そしてこれ以上増えないで欲しい
でも、それは私には耐えられない。
夏の蝶
体もスカートも、指先も、チャックを閉めて持ち歩く。
募金をする音が、足元を鳴らしている。
鈴の中にいるように人混みをさまよった。
ぜろ距離は二重だと思いながら、膝を抱いている。
地面に花を描くのをやめたら、
小石を拾ってはポケットを膨らませるあなたがいた。
手を傾けると、腕をつたって降りてくる夜がある。
行けば無くなる部屋
恣意的なドアを開けては迷子になった。
誰もいないことは、誰もがいるということ。
爪先が重なれば、あなたは
あなた、あなた。
接点をずらされた感じが星に似る。
夜空が廻る、こぼれないように
そばにあるようにジジ…ジ…
自分が許せない。
変われない自分が見えてくるから
自分がどんどん間違いに見えてくる。
まあるい夜がコップからこぼれ落ちる。
言葉をすり抜ける蝶が雨宿りにくる。
でこぼこに膨らんだポケットを下げたまま、
掌が自由なあなた、
街のネオンをオフにして、
トンネルを見つけてやってくる。
指の挟まるドアへ蝶がゆく。
両側から閉まる壁の合わさりに指を滑らして
出てゆく、そしてきっと話ができる。
独り言は誰かに待たれる。
夜ばかりを歩き、空っぽの電灯に留まった
無人が目印の駅で、乗り降りを繰り返した
半分だけめくろうと現実を歌う指先の頓挫
折ると挟まる言葉のように私は眠らない
開けられる時を求めるだけの秒針で進んでいた
急かす歯を笹舟にして
私が川ならと慌てて土手を転げ落ちた
草を抜くように流れる時刻は、まばたきに足並みを揃えたまま
独りだけの涙を許した
まるで自然に判子の付いた
そんな箱から
未来を持つように並べたピースが
積み木のように重なる
隣に居たくないように
わたしを上塗りした
流れた欠片として落ち着きたくあった
待たれたので、空(から)のように感じた動作が、丁寧に畳まれている
自分すら許してくれないと
折り目を直しながらそうして許されていた
夜に再び通す今日を
目の上に滑らしていた
曲がり角を待った
私を我慢するだけ
独り言が救うかのように
それだけでなく、
昔の人からこぼれる独り言を、思い出が待っている
誰かが今日に。
私が今日に。
朝のない一週間を眠り続けたあと
おはようを掌にのせる
隣で流れてゆく言葉に
身を乗せて流れてゆくのをそのままに
私は流れていた
ふれたつもりで
どうして岸へあがってしまったんだろう
私は乾いたのにあなたは濡れたまま
悲しい悲しい
この手から流れてしまう
二人で入った川に
あなたはいないのだろうか
水面に映る月の冷たさで
素足の感触をなぞる
足先が冷たい
なんて私は・・・。
幾度もつまずく
月を揺らして、
毎夜の航路に、
指を重ねる
だんだん夢の中に生きていく。
夜は寝付きが悪く、何時間ベッドに張り付いていても眠る事が出来ないので、薬を半錠だけ飲んでいる。それで、眠りに落ちるのに四時間掛かっていたのが、今は二時間に半減した。
朝は少しずつ起きられるようになった。けれど、一日中、眠い。
自分の感覚がぼやけて、視界が不鮮明で、例えば初対面の人の頬にとつぜん人差し指を押しつけても、本当に私がやっているのか・突きつけているのは私の指なのか・その行為が現実的に失礼な事なのか、どうか、じっくり考えないと判断ができない。そのような事は、大抵時間が無いので、ほっといて宙ぶらりんになってしまうのだけれど。
それに反して、夢の中での私が、だんだんと鋭敏に鮮明になりつつある。
感覚はとてもリアルで、触れる質感は重く、押し返してくる。感じる痛みは声をあげるほど深く、涙は頭がガンガン揺れるほど溢れ、笑顔は相手に映るくらい生々しい。
夢の中で損なってしまったものを、現実の世界で探し廻る事もあった。例えば、着けた事の無いピアスとか。
だから、ここ一ヶ月は、少しでも長く眠ろうとするようになった。
休日や授業の少ない日はなるべく寝込んで、あちら側へ行こうとする。
何かを追い求めるように、夢の中で、思い切り泣いたり笑ったり傷ついたりする。十分現実で傷ついた気がしていたけど、私はまだまだ傷つく。
一番古い夢の記憶は、確か幼稚園に入ってすぐの頃。
一面中赤や黄色のふわふわとしたお花畑で、真ん中に一つだけポツンと細い灯台が建っている。その灯台の天辺で、性別の分からない子供と二人だけで遊んでいた。信じられないほど優しかったのを覚えている。
今ではもう、痛いだけの夢や逃げまどう夢ばかりなのだけれど。
夢への逃避だとしたら、私は現実から逃げているのだろうか。
確かに逃避だと思う。けれど体が、自然と感覚のより動く方に向いてしまう。まるで、バランスでも取りに行くかのように。
ぼんやりしか動かない頭で現実を歩くより、あまりに過激に爪を立ててくる夢の方がいい。そう思ってしまう。楽なのがどっちかは分からない。けれど、このまま無感覚な体で現実にいると、自分が消えてしまいそう。
五月は夢ばかり生きていた。
そして、夢が記憶に残すものは、その中で起こった出来事や出会った人物ではなく、ただ純粋に感覚のみである事が分かった。
この一ヶ月で見た夢の内容はほとんど覚えていない。それがどんなに壮絶な内容であっても。誰に追われ、死に物狂いで逃げ、何に声をあげるほど傷つけられたのかも。
そこには私しか居なかった。
背景に何も無い、ただ私の鮮やか過ぎる感覚だけが頭に残っている。それに至る経過はすっぽり抜け落ちて、ひたすらに感度の尖った心の模様しか見えない。
たぶん夢は、それのみの世界なのかもしれない。
一番最近の夢では、大量のスピーカー群に追い立てられ、一つずつ細い針で刺して破壊してゆく私がいた。
大勢の黒い物体に囲い込まれて、息が詰まり身が縮まるほど怖かったし、音の出る部分に針を突き立てる感触が、今も指をじんじんさせる。突き刺した内部は、甲虫の背のように固かった。
あと何日残るだろう。
夢から覚め、パソコンを起動させながら思った。
スピーカー壊れてないじゃん…。
少しずつシフトして、次第に戻るのかもしれない。
現実のことは忘れられない。夢には自分の感覚しかない。
夢では、私がわたしでしかなかった。







