ほとりから見える今日
大阪に帰ってきてから様々な違和感に襲われる。起きる時間がずれていたりお皿の数が足りなかったり冷凍庫の氷が固まっていなかったり見知らぬ本が増えていたり服はすべてハンガーに掛けてあったり振り返るといつも壁だったり、そんな、まるで放棄された私とかあなたの意志とかがこっそり干からびていく過程を切り取ったような。そういうものに不意に出会うと、首をかしげたまま数秒間、ん、と意識が止まってしまう。流れというもの。どこかに今もある場所。途絶える振りをして向かう、向かってくるもの。
ファイナルに残れなかった彼の演奏を聴くことは無かった。
だめだったよという幾分軽い声が、二年より前の記憶いつかのものと全く同じ感じだったのに何となく気付いてしまい、吐く息に合わせて、そう、としか言えなかった。ふっという息継ぎに聞こえたかもしれない、なんだか喉がさらさらしていて、ため息も声のように響いてしまう。それで呼吸するのも何気ない言葉として聞かれているようで、気をつけはじめると胸が苦しくなった。
つぎがんばるよという人型のハリボテを啄む鳥は誰だ。つづけるんだね、と言うと、うーーん・・・とこれも軽薄に3数える間に悩んだ声を出して、先はわからないと答える。おカネないし、いそがしいしね。
もうずっと演奏を聴いていない。知識もなく、ピアノのテクニックや曲の背景も何も解らないけれど、時折前後に揺れながら、肩は一定の高さに保たれていて、おう、おう、と汲んで来た水を少しずつ鍵盤に垂らしていくように弾いているかたあい背中にもたれて、ふんふん聴いているのは居心地が好かった。ドビュッシーの雨の曲とかショパンの木枯らしとかリストの愛の夢とかブラームスの何とかとか、曲名なんてほとんど忘れてしまったけれど今でも少しだけ口ずさめるフレーズが、湯船につかっている時やスプーンを落とした時なんかにふっと流れてくる。あ、と言って口を閉じる。でももう何の曲だったのか、どこで聴いたのか、そういう温度のある、ふれれば溶け出しそうな色はもう解らないし知らない。
ずっと前に、「ピアノの森」という漫画の話を電話でして、あれ凄く面白いよねなんて言っていたのだけれど、ピアニストでも芸術家でもさ、誰にでも伝わっちゃう人がいるんだよね、と彼がぼそっと呟いたのを今になって思い出した。今更なのがわらっちゃうんだけど。
実家に帰っても、彼のところへ聴きには行かなかった。風邪を引いて病院へ行った。田舎の診療室には4番がなかった。若い医者に光を当てられたあと喉を掻き回され、涙が滲んできた目じりをそっとガーゼで拭われた。返したくないメールで行き詰まった携帯電話を耳に当てながら笑う私と目が合った子犬は、きゃんと吠えて尻尾を振る。わおん!と返すと電話の向こうで間抜けな声がした。
だれといる。
チ、キリリキリキリ
しんぞうのよこっちょがいたいおと。
そこからのどまで繋がったくだがすーんすーんふるえるようなむなしさ。
空っぽで砂が流れて行くようで、何もかも出してあげるよ、いえないこともしらないことも、はぁはぁはぁって、ああ何にもでない、ねーきこえる・・・
それが呼吸で生活であなたの今日で、明日なんて出せないのよ。
俯き加減でも立っている後ろに、舞う糸屑を感じる必要はない。
あなたの湖を満たすことができるのは、私の背中じゃない。
ペダルを踏みながら注ぐために、背伸びして抱いた甕の水を胸からそのままあなたへ流し込んで、あの場所はどこだったのかな。
どこかにいっぱいの湖がある。
そしてもう二度と、眺められることも再び満たされることもなく、背中を空かしているのだろう。
結局そこへは行けなかった。
あんなにふたりで、合わせた掌とか唇とか額とか背中とか
そこだけを頼りに居場所にしていた重なり
結局そこへは行けなかった。
たくさんの生き物を創ってそこで笑おう
水面が怖ければ光を与えよう
あたたかいという季節
風が欲しければ走る
息なんてしなくても生きられる
それが湖。
ここはオーサカ。
健康なんて似合わない私がびしょぬれの服を干す場所。
モニタに向かって笑ってみるよ。
電源を落とさなきゃ顔がうつらない?
振り返るとすぐ壁があった、そっと身を寄せてみる。
年を重ねながら、そうやってどこかが増えていくのだろうか。
ここもすぐにそうなってしまうのだろうか。
今日だけを通す細いくだに
アサッテはいつでもない場所なのよと掠れていった。
すううと息をして、今はもうかわいた靴を履いて。




